弓弦(ゆづる)につがえて射る矢。戦の際に武器として使われた弓矢ですが、絵画でもまた、戦や武者を描いた際に登場します。
この錦絵は幕末に描かれたもので、赤穂義士を描いたシリーズの一枚です。弓術に長けた奥田孫太夫は、背中に矢筒を背負い、今まさに矢を放ったところなのでしょう。武器として矢は、猛々しい印象があります。
一方で文様として親しまれている側面もあります。「矢絣」(矢筈絣の略)などは矢の形から文様の名前がつけられ、よくしられています。ほかにも「桐矢襖文辻ヶ花染胴服」(16世紀・京都国立博物館蔵)があります。胴服とは羽織の原形で、戦国時代の大名に好まれた上着のことです。こちらの胴服では、裾に矢を並列させた矢襖(やぶすま)文様を配していて、デザインとしてさまざまにアレンジされながら親しまれてきたことが想像されます。
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chapter1
矢と的
はじめにご紹介するのは、的と矢が配された型紙です。この型紙は「突彫」と呼ばれる技法によって制作されたものでしょう。突彫は彫刻刀が薄く、鋭く整えられているため、線を表現することが得意です。そのため、背景の網目のような文様も表現することができるのです。背景があることにより、矢と的が浮かび上がるようにみえます。(KTS00347)
chapter2
矢
次にご紹介する型紙は、矢を大胆にデフォルメしています。大小さまざまな大きさの矢が直線と曲線を織り交ぜながら彫刻されています。一枚の型紙だけではわかりませんが、型が送られていくと、よろけ縞か立涌文様のようにみえるのではないでしょうか。デザインとしてもたのしめます。
こちらの型紙も突彫によりますが、こちらの場合は型紙が彫り抜かれている面積が大きくなっています。そのため、補強として絹糸による「糸入れ」が施されています。(KTS01900)
こちらの型紙も突彫によりますが、こちらの場合は型紙が彫り抜かれている面積が大きくなっています。そのため、補強として絹糸による「糸入れ」が施されています。(KTS01900)
chapter3
矢(錐彫)
最後にご紹介するのは、矢が型紙いっぱいに飛んでいるような型紙です。非常に小さな矢が型紙全体を占めていますが、これは「錐彫」によるものです。錐彫は小さな孔を開けて彫刻する技法のため、小紋によくつかわれます。小さな孔を直線、ありは曲線に繋げていくことでさまざまな形を表現することができるのです。この型紙も、点のような小さな孔を丁寧に彫刻することによって矢の輪郭を表現しています。また、矢の周囲に霰のように散りばめられている孔と矢の輪郭線を構成する孔とは、じっくりみると径が異なることがわかります。錐彫の彫刻刀は、大小さまざまな半円、もしくは円の刃をもつので、彫刻される円の大きさも型紙によって異なります。径の異なる彫刻刀を使うことにより、型紙にメリハリが出てきます。(KTS04824)
このほかにも実物とは異なる個性的な矢が、数多く型紙には表現されていました。一枚一枚かたちが違い、そして手仕事だからこそ微妙な揺れがあります。文様として矢をじっくり眺めていくと、なんとも言えないかわいらしい印象へと変わっていきました。
【参考URL】
e国宝「桐矢襖文辻ヶ花染胴服」http://www.emuseum.jp/detail/101138/000/000?d_lang=ja
ARC浮世絵閲覧システム「忠臣義士銘々伝 尾久田孫太夫藤原重盛」 http://www.dh-jac.net/db/nishikie/search.php
e国宝「桐矢襖文辻ヶ花染胴服」http://www.emuseum.jp/detail/101138/000/000?d_lang=ja
ARC浮世絵閲覧システム「忠臣義士銘々伝 尾久田孫太夫藤原重盛」 http://www.dh-jac.net/db/nishikie/search.php
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
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旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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