一年の終わりも見えてくる11月、歌舞伎には顔見世と呼ばれる一大行事が待っています。
歌舞伎の顔見世とは劇場の年中行事の一つで、新しい座組の顔ぶれでおこなう最初の興業のことを指します。江戸時代の顔見世は11月におこなわれ、一年で最も重要な興業とされました。現在、行事自体は廃れましたが、11月の京都南座は「吉例顔見世興行」と銘打って江戸時代のおもかげを今に伝えています。
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chapter1
役者紋尽し
歌舞伎に関連する型紙の多くは役者の家紋を採り入れています。上の型紙は歌舞伎役者の家紋を組み合わせたもので、「三升」「三つ銀杏」「結綿」紋が錐彫によって彫刻されています。それぞれ家紋の輪郭は線上に等間隔で彫刻されていますが、家紋の内側は輪郭線よりも少し間隔を空けて彫刻されているため、輪郭が際立ちます。
三升紋は市川団十郎家の定紋、三つ銀杏は松本幸四郎家の替紋、結綿は瀬川菊之丞家の定紋です。それぞれ何代も続く名跡ですが、三名の名乗り時期が重なるのは江戸時代に2度ほどです。市川団十郎、松本幸四郎、瀬川菊之丞の三名が揃った時期に制作された型紙であるのかなど興味は尽きません。明確な制作時期やどのような意図で三者の家紋が選択されたのかは不明ですが、歌舞伎の人気を伝えてくれる型紙です。(KTS04620)
三升紋は市川団十郎家の定紋、三つ銀杏は松本幸四郎家の替紋、結綿は瀬川菊之丞家の定紋です。それぞれ何代も続く名跡ですが、三名の名乗り時期が重なるのは江戸時代に2度ほどです。市川団十郎、松本幸四郎、瀬川菊之丞の三名が揃った時期に制作された型紙であるのかなど興味は尽きません。明確な制作時期やどのような意図で三者の家紋が選択されたのかは不明ですが、歌舞伎の人気を伝えてくれる型紙です。(KTS04620)
chapter2
六弥太格子
上の型紙は先ほどの三升紋を上下左右に繋げた「六弥太格子」の型紙で、岡部六弥太の衣裳に使用される文様をいいます。この型紙は突彫で、文様が崩れてしまわないように、二枚にはがされた型紙の間に生糸を入れて補強しています。
六弥太格子は役者絵に確認できますが、とりわけ八代目市川団十郎(文政6年〔1823〕-安政元年〔1854〕)が嘉永2年(1849)に岡部六弥太を演じたことをきっかけに流行したと言われています。下の画像のように上演当時の役者絵にも六弥太格子を確認することもできます。八代目団十郎は、技芸とその美貌から幕末に大変な人気を誇った役者でした。(KTS05037)
六弥太格子は役者絵に確認できますが、とりわけ八代目市川団十郎(文政6年〔1823〕-安政元年〔1854〕)が嘉永2年(1849)に岡部六弥太を演じたことをきっかけに流行したと言われています。下の画像のように上演当時の役者絵にも六弥太格子を確認することもできます。八代目団十郎は、技芸とその美貌から幕末に大変な人気を誇った役者でした。(KTS05037)
そして、このような型紙が残っているということは、舞台上の衣裳のみならず一般にも広まっていたことを示しています。型紙がいつ頃制作されたのか判断することは難しいのですが、人気役者の影響を受けて制作された型紙といえるのではないでしょうか。
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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