玩具に装飾に 貝
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    貝1
    貝2
      貝は古くから食料として採取され、装身具や美術工芸品の中では、光沢や色彩を活かした装飾に用いられる場合とモチーフに利用されてきました。江戸時代の小袖にも貝はモチーフとして利用されていて 「梅樹網干海松貝模様小袖」(女子美術大学美術館蔵)などにもみることができます。では、布地を染めるために使用された型紙はどのような形で貝をモチーフとして利用していたのでしょうか。いくつか型紙をご紹介しながら、貝類がモチーフとして型紙の中でどのように利用されてきたのかご紹介したいと思います。


    chapter1

    貝と貝桶

     こちらの型紙は、貝と貝桶が敷き詰められた型紙です。栄螺や蛤などの貝がちりばめられています。一方、貝桶とは「貝合わせ」という物合わせの遊びで使う貝をしまっておく道具のことで、こちらの型紙では六角形の筒型になっています。貝桶は、婚礼調度の中心として、蒔絵をほどこされるなどして華やかに装飾されました。型紙の中で、貝桶の周囲には、貝桶を結ぶための房のついた紐も表現されています。  この型紙は、突彫と呼ばれる技法により彫刻されています。突彫は彫刻刀の刃先が薄く鋭く整えられていて、細い曲線も自由に彫刻することができます。なお、この型紙の場合輪郭線が細く、ほとんど均一の幅で彫刻されていますので、彫刻刀が二枚刃になっている「二挺」(にちょう)で彫刻されてのかもしれません。この彫刻刀は、二枚の刃がついているので細い線を均一の太さで彫刻することができるのです。
    chapter2

    貝桶と貝、そして桜の花

     次にご紹介する型紙にも貝桶と貝、そして桜の花が彫刻されています。こちらの型紙は、先ほどの突彫と「錐彫」と呼ばれる技法によるものです。錐彫は、刃先が小さな半円形になっていて、彫刻刀を半回転させることにより小さな円を彫刻する技法です。また、径の異なる円が彫刻されているので、二種類の彫刻刀を使用して彫刻された錐彫だと思われます。複数の彫刻刀を使い分けることによって全体が単調にならず緩急をつけたデザインとして仕上がっています。
    chapter3

    小紋

     最後にご紹介する型紙は、非常に細かな模様が配されている小紋です。遠目からではどのようなデザインなのか判断が難しいと思いますが、近づいてみるとさまざまな貝が配されている「貝尽くし」であることがわかります。大小さまざまな大きさで無造作に配置さえているように見えますが、バランスがとれていて、すき間が均等に配分されています。また、こちらの型紙は錐彫と「道具彫」による組み合わせで彫刻されています。錐彫は、径の異なる彫刻刀が使われていて大小の円が確認できます。一方、道具彫は三角や四角などさまざまな形に整えられた彫刻刀を使用する技法で、こちらの型紙では曲線を彫刻するために使用されています。緩急のあるデザインになっていますが、錐彫による彫刻が大半を占めているので、全体が丸みをおびたかわいらしい印象になっているのではないでしょうか。
     身近でありながら、なかなか種類を区別することが難しい貝。さまざまな種類の貝を見比べながらどのように模様として形が変えられているのかを比べてみることも楽しいのではないでしょうか。
    【参考文献】
    文化遺産オンラインhttp://bunka.nii.ac.jp/index.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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