日常の中でひらく美しさ 傘
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    傘1
    傘2
     雨が降れば雨傘、日差しの強い日には日傘をさす人もあり、傘は日常生活で欠かすことのできないものの一つですね。雨具としての傘は、鎌倉時代の『一遍上人絵伝』にも描かれていて、江戸時代には紙張りのものが登場したと言われています。また、遊郭の太夫が道中をする際、定紋をつけた長柄傘も欠かすことができないもので、その様子を描いた絵画資料も残っています。
      こちらの絵は合羽摺(かっぱずり)と呼ばれる技法によるものです。合羽摺は、紙によって防水性の高い型を作り、型の上から絵の具を塗って彩色する方法です。とくに江戸時代の上方でよくおこなわれたと言われています。合羽摺の場合は型を使って直接彩色していたので、防染糊を使う技法とは少し異なりますが、布地を染める型紙と非常に似た技法が絵画にも使われていました。

    「風流全盛花寿」 arcUP0635 立命館大学アート・リサーチセンター蔵

    さて、傘は実用性もさることながら、その開いた形がデザインとしても魅力的だったようです。開いた傘は円の中に骨が放射状にのびていて、それがデザインとして利用されました。また、閉じた傘も二等辺三角形のようでもあり、この形もまたデザインとしても使われています。  型紙の中では、どのような傘のデザインが使われていたのか、いくつかご紹介したいと思います。

    chapter1

    かさ尽くし

    まずご紹介する型紙は、かさ尽くしです。頭にかぶる笠に加え、閉じた傘がさまざまな向きで配置されています。よくみると、扇も含まれています。 この型紙は、「錐彫」と呼ばれる半円形の彫刻刀を回転させることにより非常に小さな孔を彫刻して文様を形づくる技法と、「道具彫」と呼ばれる刃先がさまざまな形に整えられた彫刻刀を使用する技法、「突彫」とよばれる刃先が鋭く、薄く整えられた彫刻刀を使用する技法の三種類によって彫刻されています。一人の職人が複数の技法を使い分けて型紙を彫刻していたことがわかる例です。一つのモチーフの中にいろいろな技法が織り交ぜられていてデザインのアクセントにもなっています。 (KTS02549)
    chapter2

    傘に蝙蝠

    次にご紹介する型紙は、蝙蝠と開いた傘が全体に配されています。彫刻の方法は、傘が錐彫、蝙蝠は突彫によるものと思われます。傘は小さな孔が連なって直線や曲線を構成していますが、対照的に蝙蝠は横に彫り抜く直線の幅の違いで蝙蝠を構成しています。傘と蝙蝠では型紙を彫り抜く面積が異なるので、モチーフがより際立つようになっています。 また、蝙蝠と傘のモチーフを組み合わせることで「蝙蝠傘」を表していたのでしょう。遊び心が感じられるデザインです。 (KTS04312)
    chapter3

    最後にご紹介する型紙は、開いた傘を下からのぞいたようなデザインになっています。型紙全体を埋め尽くすように、あちらこちらに向いた傘が配されています。こちらの型紙は、傘の柄を突彫により、他の部分は錐彫によって彫刻されたものでしょう。一見すると、無造作に傘が配置されているように見えますが、型紙は繰り返しのパターンのため、文様に偏りがあると、染めた時に一定の調子でバランスの悪さが見えてしまいます。そのため、文様の配置は型紙やその先の染め物としての完成度に大きく関わってきます。この型紙も型紙が彫り抜かれている部分と型紙が多く残っている部分とがバランス良く配されていますので、布地を染めた時も美しく染め上がっていたのではないでしょうか。(KTS07218)
    傘は今も昔も生活に欠かすことができないものなので、デザインとしても親近感を持つことができるのではないでしょうか。そして、デザインとして型紙に使われている傘を眺めていくと、様々な角度から傘を見つめていたのだと、当時の人々のものを見る視点の多様さに感心させられます。
    【参考URL】
    ARC所蔵・寄託品浮世絵データベース
    http://www.dh-jac.net/db/nishikie/search.php
    e-国宝
    http://www.emuseum.jp/top?d_lang=ja
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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