絣織とは、布地を織る前にデザインに沿って染め分けた糸を織り上げてさまざまな文様を表現する先染(さきぞめ)織物のことです。日本では、久留米や備後、伊予などが江戸時代より絣の産地として知られています。これらの地域では、特に1877年(明治10)以降、絣が大流行したと言われています。その後、明治後期には、縞や絣のデザインに対する注目が集まり、デザイン画を集めた図案集『縞とかすり』(古谷雪山、山田芸艸堂、1905年)等が京都から刊行されるなど、絣が持つ独特の風合いに高い関心が寄せられました。
こうした絣に対する人気が高まるなか、絣は後染の製品にもその風合いが表現されています。明治期から大正期にかけて仙台地方で生産された木綿の型染物である常磐紺形染(ときわこんがたぞめ)のなかにも、絣を文様として表現した型紙が含まれていることが報告されています。絣織物独特の絣足(織り上がった時の文様のずれ)を型紙の彫刻によって再現していたのです。キョーテックコレクションの中にも、絣文様の型紙が数多くあります。型染という後染の技法によって絣はどのように表現されたのか、ご紹介したいと思います。
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chapter1
絣文様
こちらは、同じ柄を繰り返した絣織風の型紙です。絣は糸を先に染めてから織るので、ずれが生じますが、型紙ではそのずれを彫刻の際に意図的に作り出します。直線を左右あるいは上下に少しずらして彫刻しているのは絣足を表現するためです。また、こちらの型紙は、経糸(たていと)も緯糸(よこいと)も染め分けて織る経緯絣(たてよこがすり)を意識して制作されています。(「絣文様」KTS15679)
chapter2
波に千鳥
次の型紙は、波と千鳥を表現しています。波と千鳥は、本コレクションの中にもいくつか見られ、一般的な取り合わせなのですが、波や千鳥の輪郭を単純な直線や曲線ではなく、横向きの楕円のような形を並べて表現しています。これは、緯糸をあらかじめ染め分けた緯絣(よこがすり)を想定し、絵画的な表現をおこなう絵絣を型紙で表現しようとしたものです。
(「波に千鳥」KTS00327)
chapter3
菱繋ぎ
最後の型紙は、斜めの線を取り入れた幾何学的なデザインとなっています。菱形を縦向きと横向きに並べていくような構成となっていて、菱形の輪郭線をそれぞれ工夫しながら彫刻しています。また、絣足を表現するために菱形の輪郭線を構成する横方向の直線を長くしたり、短くしたりしています。ずっと眺めていると、目の錯覚を起こしそうですね。(「菱繋ぎ」KTS10803)
テキスタイルを装飾する方法はさまざまありますが、織と染では工程が異なります。しかし、工程や技法をこえて繰り返しアレンジされる絣織を通して、あらためて絣のもつ魅力を感じることができるのではないでしょうか。
【参考文献】
福井貞子『絣の文化史』、1981年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館『京都のモダンデザインと近代の縞・絣』、2009年
川又勝子・佐々木栄一「常磐紺型の文様―絵絣文様について」『東北生活文化大学・東北生活文化大学短期大学部紀要』40、2009年
Google Arts & Culture 日本の匠「弓浜絣」「琉球絣」
https://artsandculture.google.com/project/made-in-japan
福井貞子『絣の文化史』、1981年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館『京都のモダンデザインと近代の縞・絣』、2009年
川又勝子・佐々木栄一「常磐紺型の文様―絵絣文様について」『東北生活文化大学・東北生活文化大学短期大学部紀要』40、2009年
Google Arts & Culture 日本の匠「弓浜絣」「琉球絣」
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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