鳳凰は想像上の鳥で、体の前は麟(りん)、後ろは鹿、頸は蛇、尾は魚、背中は亀、顎は燕、くちばしは鶏に似ているといわれています。桐の木に宿り、徳の高い君子が天子の位につくと現れる瑞鳥とされました。古代中国から伝わった鳳凰は、日本文化においても尊ばれてさまざまな装飾に使用されています。
たとえば、江戸時代に刊行された紋帳には、図のように家紋としても掲載されています。さらに身近なところでは、現在の一万円札にも鳳凰が使われています。想像上の鳥にも関わらず、文化や生活に深く根付いているモチーフの一つといえるでしょう。
布地を染色するための型紙にも鳳凰は使用されていて、キョーテックコレクションには44枚に鳳凰を確認しています。その中からいくつか紹介しましょう。
23
chapter1
鳳凰に桐
こちらの型紙は、中央部に鳳凰が大きくあしらわれ、右下に桐が突彫により彫刻されています。突彫は、鋭く尖った薄い刃先を使って彫刻するため、絵画的な表現を得意としています。そのため、曲線もなめらかに表現できますし、羽根や葉脈なども細部まで彫り込まれています。また、線の太さも自在に調整できるので、桐の葉の輪郭と葉脈とでは線の太さが異なっています。
鳳凰と桐は、鳳凰が桐の木に住むといわれているため、組み合わせとしてしばしば見受けられます。
(KTS17789)
(KTS17789)
chapter2
鳳凰に桐
次の型紙も同じく、桐と鳳凰の型紙です。しかし、錐彫と呼ばれる半円の彫刻刀を回転させて小さな円を彫刻する技法が使用されているため、先ほどの型紙と印象が異なると思います。小さな円を並べることにより、曲線が表現されていますが、少しでも円を彫刻する位置がずれてしまうと、美しい曲線に見えません。一つ一つの円を集中して彫刻することで生み出される線です。また、桐の葉や鳳凰の脚や羽根の先端は突彫により型紙を彫り抜いています。彫刻技法を織り交ぜてあるため、布地へ染色したときもアクセントになるでしょう。(KTS05356)
chapter3
鳳凰の丸
最後に紹介する型紙は、錐彫による鳳凰です。遠目からでは非常にわかりにくいのですが、拡大してみると小さな円の集合によって鳳凰のシルエットが表現されています。先の2枚の型紙と違って簡略化されていますが、鶏冠や長い羽根から鳳凰とわかるのではないでしょうか。型紙に彫刻される小さな円は、均等な間隔で彫刻されているため、鳳凰のシルエットが浮かび上がるように見えます。隣り合う小さな円同士が繋がってしまえば、デザインは崩れてしまいますので、高い彫刻技術から生み出された型紙であることがうかがえます。(KTS07163)
鳳凰を写実的にあるいは簡略化して表現するのか、また、彫刻技法の選択により、同じモチーフにもかかわらず印象がかなり異なっています。型紙は、彫刻する段階で色を付けることができませんから制約があります。しかしそれを逆手にとるように、彫刻する形や線、細かさ、あるいは輪郭部分をいかに表現するかなど、型彫師の高い技術と工夫を通じてさまざまな鳳凰のデザインが生み出されました。
【参考文献】
立命館大学アート・リサーチセンター書籍閲覧システム http://www.dh-jac.net/db1/books/search.php
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
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旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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