12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを果たしたとされる日です。人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』は、討ち入りから47年目の寛延元年(1748)に初演されました。初演以後、現代に至るまで歌舞伎・文楽ともに人気の演目です。
『仮名手本忠臣蔵』七段目では、大星由良之助が敵の目を欺くために、祗園一力で遊興にふけっています(上図)。扇を首元に差し、目隠しをして遊ぶ様子は、とても主君の敵討を目論む人物とは思えません。
しかしその後、息子である力弥が由良之助の元へ密書を届け、事態は展開します。下記リンクは、由良之助が密書を読む場面ですが、首もとには扇が差したままです。扇を首に差したままという遊興の余韻と密書を読む姿が対照的です。この場面では扇が、由良之助の本心を隠すようなアイテムとしても描かれています(「おかる 岩井紫若」「大星由良之助 尾上菊五郎」「寺岡平右衛門 関三十郎」、早稲田大学演劇博物館蔵)。
では、扇はデザインとしてはどのように用いられているのでしょうか。例としては、江戸時代の小袖や屏風、漆器に扇が蒔絵された作例や扇形をした陶磁器などが挙げられます。扇は開いても閉じても、そして扇の骨に張る「地紙」も意匠化されています。特に開いた扇や地紙は、一つの画面としてとらえられ、その中へ人物や風景、文様などがさまざまに表現されます。
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chapter1
扇が敷き詰められた
上の型紙は、型紙全体に扇がぎっしりと型彫されています。扇の地紙と呼ばれる部分は「錐彫」という半円形の刃物を回転させて小孔を彫りぬく技法が用いられています。そして、扇の骨は突彫が用いられていると考えられます。扇の骨が通る折り目一つ一つまで、錐彫により丁寧に表現されています。扇が小袖や絵画に表現される場合は、「扇散らし」と呼ばれるように、扇が画面全体にゆったりと配置される作例が多いので、この型紙の構図はやや珍しいかもしれません。
chapter2
扇の折り目に細かい表現
この型紙も同じく扇をモチーフとした型紙です。こちらは、図3の型紙と比べるとゆったりと扇が配置されており、半分閉じた扇もあります。この型紙はすべて錐彫によるもので、小孔により扇の輪郭、扇の骨が表現されています。また、最初にご紹介した型紙とは異なり、扇面全体も彫りぬかれ、等間隔な小孔が並びます。しかし、扇の骨が通る箇所の小孔は直線上に、そして周囲より間隔を狭くして彫刻されています。同じ刃物を使いこなしながら、繊細な小孔の間隔や並べ方によって、扇の折り目が浮かび上がるように表現されているのです。
ここに挙げた二枚の型紙は、扇という同じモチーフを表現していますが、彫刻の間隔やモチーフの配置で随分と印象が変わります。芸能で扇が角度や開き具合といった、ちょっとした違いからさまざまな心情が表現される点と重なるかもしれません。
東京国立博物館画像検索 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0032031
演劇博物館浮世絵閲覧システム http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/search.php
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
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旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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