秋の彩り 銀杏
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秋の文様

    銀杏1
    銀杏1
     銀杏の葉が色づくと、秋の到来を感じる―そんな人も多いのではないでしょうか。もともと銀杏は中国原産で、日本にも古くに渡来したといわれています。現在も銀杏は、街路や寺社などに植えられているので目にすることも多く、身近な植物の一つでしょう。  銀杏は古くから知られていることもあり、デザインとして広く親しまれていますが、樹木ではなく、葉や実がデザインとして使われています。型紙にも銀杏をデザインとして使っているものも多いので、どのようにデザイン化されているのかほんの一部ではございますが、紹介していきたいと思います。

    chapter1

    銀杏に薄

     銀杏の葉が型紙全体に配され、薄らしきデザインもみえます。また、背景は縞になっています。この型紙は「突彫」と呼ばれる非常に薄く、尖った刃先を上下に動かすことよりモチーフを彫刻する技法によるものです。 縞と薄の接するところは紙が非常に細くなっているので、彫刻する際に気をつけなくては型紙自体が切れてしまいます。型紙が切れてしまわないように彫刻するには、数ミリのすき間を確実に彫り抜く高い技術が必要になります。また、銀杏の葉と薄は曲線で構成され、そこに直線の縞が配置されているので、抑揚のあるデザインになっています。(KTS00535)

    chapter2

    銀杏(小紋)

     小紋なので、近づいてみないとデザインがわかりにくいかもしれませんが、よくみると型紙全体に小さな銀杏の葉が散らしてあります。先ほどの型紙とは異なる「錐彫」と呼ばれる技法によって彫刻されています。錐彫に使用する彫刻刀の刃先は半円形に整えられていて、それを型紙にあてて半回転させることにより小孔を彫刻するのです。小孔を並べることで直線も曲線も表現することができますが、小孔を連ねて直線や曲線を彫刻していくには小孔同士の間隔が非常に重要です。ちょっとしたズレがあっては線にみえませんので、彫刻する位置やバランスが非常に重要になる技法です。また、よくみてみると銀杏の葉を構成する小孔と周囲とは直径の大きさが違います。これは、銀杏の葉を彫刻する彫刻刀の方が径の小さなものを使用しているからです。 これだけの彫刻を完成させるためにどれほどの時間がかかったのでしょう・・・想像するだけでも頭が下がります。(KT11337)
    chapter3

    銀杏鶴に双葉葵

     こちらも小紋の型紙で、目を凝らしてみないとわかりませんが、双葉葵と銀杏鶴が配されています。ハート型に見えるのが葵の葉で、茎から葉を二つつけています。一方の銀杏鶴は、銀杏の葉を飛んでいる鶴の形に図案化したもので、葉が鶴の羽に見立てられています。この型紙も錐彫によるものなので、小孔を一粒一粒丁寧に彫刻することにより、銀杏の葉や葵の葉を形作っています。モチーフが単純化され、円が集まってモチーフがつくられているのでとてもかわいらしい印象になります。
    (KTS04818)
     身近にある銀杏の葉を型紙のデザインとしてつかうとき、単純化したり、彫刻技法を変えてみたりすることで、同じモチーフであっても全く別の印象を与えてくれます。型紙のデザインの豊富さを考えるとき、彫刻技術の豊かさが大きく影響していたことをあらためて気付かせてくれます。

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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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