松は厳寒に緑を保つことができるため、中国では古来より特別な木としてとらえられてきました。こうした考え方が日本にも移入し、長寿の象徴や神聖な木として信仰され、松竹梅は歳寒三友としてめでたい取り合わせとされています。 さまざまな美術工芸品に松はデザインとしても登場しますが、江戸時代に制作された≪松絹巻物模様打掛≫女子美アートミュージアム蔵にも松樹が金糸の刺繍でほどこされていて非常に華やかです。 では、型紙では松がどのように表現されているのか、いくつか例を挙げながら紹介していきたいと思います。
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chapter1
松
やや大きめの松が型紙全体に配されています。松の輪郭線は型紙を残し、周辺は絣を意識したのか、掠れたように彫刻しています。この型紙は「突彫」と呼ばれる、刃先を薄く鋭く整えた彫刻刀を使っています。絵画的な表現が得意なので、同じ彫刻刀を使って曲線と直線を織り交ぜた意匠を表現することができます。また、松の周辺は型紙の大半を彫り抜いているため、彫刻したまま型紙を染色の工程で使用した場合、文様が崩れ破れてしまう可能性があります。そのため、「糸入れ」と呼ばれる細い絹糸を型紙と型紙の間に挟み込んで補強する工程を経ています。松の後ろに格子のように見えるものが補強用の糸です。(KTS00321)
chapter2
松
次に紹介する型紙は、非常に小さな松の文様を型紙全体に配しています。型紙は、一枚の型紙を繰り返し使って防染糊を塗布していきます。また、型染のきものは、染められた反物から仕立てられるため、文様が上下逆になっても不自然でないようにしなくてはなりません。そのため、この型紙も正面向きと逆さ向きの松が配置されていて、きものとして自然な仕上がりになるようあらかじめ考えられています。 この型紙は、二種類の技法によるものと考えられます。一つめは「錐彫」と呼ばれる刃先が非常に径の小さな半円もしくは円の形をした彫刻刀を使用して小さな孔を彫刻する技法。二つめは水滴のような刃先に整えられた「道具彫」です。道具彫は、刃先がさまざまな形に整えられているので、水滴のような形をはじめ四角や三角など、さまざまな形を彫り抜くことができます。 (KTS11335)
chapter3
梅に松葉
次に紹介する型紙は、松葉と梅の花を組み合わせています。こちらの型紙は、背景を錐彫によって小さな孔を彫刻し、松葉や梅の花は突彫と道具彫によって彫刻されていて、たくさんの彫刻技法を一枚の型紙の中に確認できます。背景に彫刻される粒は、梅の周辺だけに密集していて、梅の花を立体的に見せているようです。(KTS01039)
chapter4
松毬
最後に紹介する型紙は、松毬が型紙全体に配されています。松毬の後ろにあるのは松葉でしょうか。この型紙は、すべて突彫によって彫刻されたもので、曲線と直線が織り交ぜられています。また、松毬は輪郭線が細いものと太いものが配置されているため、デザインとしても緩急がつけられています。この型紙は、大半が彫り抜かれていて、線も細いところが多く、彫刻もかなり大変であったことが想像されます。なんだかじっと眺めていると、息が止まってしまいそうです。彫師も息を止めながら集中して型紙を彫刻していたのでしょうか。(KTS01899)
普段目にすることの多い松ですが、文様にしてみるとバリエーションも多くあります。また、型紙の彫刻技法や彫刻された細かな部分にまで目を配ってみると、型紙やデザインに対してのこだわりが垣間見えます。
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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