縁起の良い文様の一つ 宝尽し
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    宝尽し1
    宝尽し2
     宝尽し文様とは、如意宝珠、宝鑰(ほうやく)、打ち出の小槌、金囊(きんのう)、隠れ蓑、丁字、宝巻、分銅などを集めた文様のことで縁起のいい文様の一つです。そして「~尽し」とは、その類のものをすべて並べ上げるという意味を表し、「尽し文様」とは、テーマをもとにそれに関わるモチーフを集めて文様にしたものを指しています。宝尽しのほかに「貝尽し文様」などがあります。
     一口に「宝」といっても、テーマに沿っていればいいので、多様な宝尽し文様がありますし、さまざまな願いも込められています。そこで、キョーテックコレクションからいくつか型紙に表現された宝尽く文様をご紹介したいと思います。
     キョーテックコレクションの型紙は約18,000枚ありますが、宝尽し文様とみられる型紙は現在、32枚ほど確認しています。枚数としては多くありませんが「~尽し」という、複数のモチーフが集められたデザインであることを考えると、広く好まれていたことがわかります。
    chapter1

    錐彫による型紙

     こちらの型紙は、錐彫と呼ばれる半円形の彫刻刀を紙にあてて回転させることにより、小孔を彫り抜く技法によるものです。経の異なる2種類の彫刻刀が使用されたと思われます。遠目からでは文様がほとんどわかりませんが、近づいていくと、少しずつ小孔が打ち出の小槌や丁字、七宝文様などを描いていることがわかります。どのモチーフも丸みを帯びているのでかわいらしい印象です。また、モチーフはそれぞれ異なる向きで描き出されていますが、配置のバランスが悪いと、遠目から一部の空白部分が極端に目立ってしまいます。一見無造作に配置されているように見えますが、職人の技術により計算された配置となっているのです。(KTS04911)
    chapter2

    「麻の葉」と宝尽し

     こちらの型紙も先ほどの型紙と同様の錐彫による型紙です。宝珠や打ち出の小槌のほか、「麻の葉」が描き出されています。縦・横・斜めの直線により構成され、麻の葉の成長がはやく、よく育つことから、子どもの成長を願う意味もあったとされます。現代もその意味合いを受け継いで、赤ちゃんの肌着などに用いられています。この型紙に麻の葉が宝尽し文様の組み合わせとして用いられたのは、子どもの誕生を祝い、成長を願ってのことだったのかもしれません。(KTS06995)
    chapter3

    絣文様のような型紙

      最後にご紹介する型紙は、絣文様にみえる型紙です。こちらの型紙は先ほどの2枚と比べ、文様は大きく配置されています。松皮菱、打ち出の小槌、三升、金囊、七宝、隠れ蓑、麻の葉が確認できます。
     打ち出の小槌などは、拡大してみると文様の輪郭が横方向の直線で表現され、それぞれ異なる長さに彫刻されています。このように彫刻するのはなぜでしょうか。それは、「絣織」に見せるためです。
     「絣織」とは、経糸と緯糸の一部を防染して文様を織り上げる技法の総称です。糸の位置を正確に合わせることで美しい文様が表現できますが、独特の文様のずれも特徴の一つです。型紙では本来、文様のずれを作らないようにしますが、この型紙ではあえて文様がずれたように彫刻し、絣織のように表現しているのです。 (KTS02481)
     一枚目と二枚目の型紙は、精緻な文様を美しく見せる方法を追求している様子がよく伝わる型紙でしたが、三枚目の型紙は、別の染織技法に見える彫刻方法を編み出してきたことがわかる型紙でした。一方では細やかさを求め、他方では別の染織技法のように見せようとする点は、型紙独自の展開のかたちなのかもしれませんね。
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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