型紙にはさまざまなものがデザインとして使われていますが、実は「人物」をデザインに使った型紙はあまり多くないようです。現存する数が少ないので、制作された割合も低かったのではないかと推測されます。人物をデザインとして使った型紙はあまり多くありませんが、彫刻されたデザインをよく見ると、いろいろわかることもあり、少し掘り下げてみたいと思います。
48
chapter1
大津絵
まずは「大津絵」のデザインを使った型紙です。「大津絵」とは、江戸時代に近江で売られていた民衆絵画のことです。仏画や教訓的な絵などさまざまな画題が描かれていたようですが幕末の「大津絵節」の流行にともない、「外法梯子剃」「雷と太鼓」「鷹匠」「藤娘」「座頭と犬」「鬼の念仏」「瓢箪鯰」「槍持奴」「釣鐘弁慶」「矢の根五郎」の10種が描かれるようになっていきました。こちらの型紙は「瓢箪鯰」を確認することはできませんが、そのほかは全て彫刻されています。それぞれの人物が一枚の紙に描かれたように構成され、あたかも絵画が散りばめられたようなデザインになっています。
こちらの型紙は、「錐彫」と呼ばれる半円形に整えられた彫刻刀を半回転させて小さな孔を彫刻する技法と、さまざまな形に整えられた彫刻刀を型紙に押し当てて彫り抜く「道具彫」が使用されています。人物の持ち物、表情に至るまで、彫刻刀を使い分けながら表現されています。
こちらの型紙は、「錐彫」と呼ばれる半円形に整えられた彫刻刀を半回転させて小さな孔を彫刻する技法と、さまざまな形に整えられた彫刻刀を型紙に押し当てて彫り抜く「道具彫」が使用されています。人物の持ち物、表情に至るまで、彫刻刀を使い分けながら表現されています。
chapter2
善玉悪玉に影絵
次にご紹介する型紙は、一枚の絵のような構図です。扇形に画面が象られ、障子に映る人影や「善」「悪」と書かれた二人がお酒を酌み交わしています。この型紙は、すべて「突彫」と呼ばれる鋭く、薄く整えられた彫刻刀を使った技法によるもので、障子は型紙の彫り抜かれている面積が多いので、壊れてしまわないように絹糸を使って補強されています。
さて、この型紙はどういった場面を表現しているのでしょうか。少しずつ紐解いていきましょう。
まず障子に映る人物のシルエットですが、こうした表現は幕末の錦絵でもしばしばおこなわれていて、「影絵」と呼ばれました。錦絵では特に、幕末から明治初期に人気があったジャンルです。有名な影絵の錦絵シリーズとしては、慶応3(1867)年に出版された落合芳幾による「真写月花之姿絵(まことのつきはなのすがたえ)」 ではないでしょうか。このシリーズで芳幾は歌舞伎役者36名の横顔をシルエットで描いています。こちらの錦絵は、幕末に人気を博した初代の坂東しうかという女形を描いています。多色摺が可能であるにも関わらず、歌舞伎役者の横顔や特徴を墨一色で表現しているのです。
人物のシルエットを使った型紙は、今回紹介したものだけではなく、ほかのコレクションにも見られます。おそらく、型染による染まる箇所と染まらない箇所というものが、影絵の方法とうまく合い、型紙のデザインにも取り入れられたのでしょう。
さて、丸の中に「善」「悪」と描かれた人物も気になります。これは、善人と悪人を示したもので、こうした表現方法は山東京伝による、絵入り短編小説である草双紙『心学早染艸』(1790年)から始まったと言われています。人の心にある「善」と「悪」の心を擬人化していて、錦絵や挿絵にも善と悪に引っ張られる人々の様子が描かれました。
また、この型紙には「狐拳」の文字も右上にみられます。狐拳とは、今でいう「じゃんけん」の一種です。狐、庄屋、鉄砲(猟人)の三種類があり、狐は庄屋に勝ちますが鉄砲に負け、庄屋は鉄砲に勝ちますが狐に負け、鉄砲は狐に勝ちますが庄屋に負けるというものです。この型紙では直接狐拳の様子は表現されていませんが、狐拳をする芸者が描かれ、その後ろには障子に映る宴席の様子を描いた錦絵の作例(菊川英山「風流きつねけん」)などもあります。
さて、この型紙はどういった場面を表現しているのでしょうか。少しずつ紐解いていきましょう。
まず障子に映る人物のシルエットですが、こうした表現は幕末の錦絵でもしばしばおこなわれていて、「影絵」と呼ばれました。錦絵では特に、幕末から明治初期に人気があったジャンルです。有名な影絵の錦絵シリーズとしては、慶応3(1867)年に出版された落合芳幾による「真写月花之姿絵(まことのつきはなのすがたえ)」 ではないでしょうか。このシリーズで芳幾は歌舞伎役者36名の横顔をシルエットで描いています。こちらの錦絵は、幕末に人気を博した初代の坂東しうかという女形を描いています。多色摺が可能であるにも関わらず、歌舞伎役者の横顔や特徴を墨一色で表現しているのです。
人物のシルエットを使った型紙は、今回紹介したものだけではなく、ほかのコレクションにも見られます。おそらく、型染による染まる箇所と染まらない箇所というものが、影絵の方法とうまく合い、型紙のデザインにも取り入れられたのでしょう。
さて、丸の中に「善」「悪」と描かれた人物も気になります。これは、善人と悪人を示したもので、こうした表現方法は山東京伝による、絵入り短編小説である草双紙『心学早染艸』(1790年)から始まったと言われています。人の心にある「善」と「悪」の心を擬人化していて、錦絵や挿絵にも善と悪に引っ張られる人々の様子が描かれました。
また、この型紙には「狐拳」の文字も右上にみられます。狐拳とは、今でいう「じゃんけん」の一種です。狐、庄屋、鉄砲(猟人)の三種類があり、狐は庄屋に勝ちますが鉄砲に負け、庄屋は鉄砲に勝ちますが狐に負け、鉄砲は狐に勝ちますが庄屋に負けるというものです。この型紙では直接狐拳の様子は表現されていませんが、狐拳をする芸者が描かれ、その後ろには障子に映る宴席の様子を描いた錦絵の作例(菊川英山「風流きつねけん」)などもあります。