弾む愛らしさ 鞠
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    鞠1
    鞠2
     古代以来、主に朝廷や公家の間でおこなわれた蹴鞠。このとき使われるのは、鹿のなめし革で作った直径約21~24センチの鞠です。この鞠を足の甲で蹴り上げ、地面に落とさないように受け渡していきます。また、蹴鞠をおこなう庭の四隅には、柳を植えることが通例とされました。現在も正月に京都の下鴨神社で「蹴鞠はじめ」として行事がおこなわれています。 
      丸めた綿を心(しん)にして上を色糸でかがった手鞠も古くから文献に確認できます。丸みを帯びた形や遊戯として親しまれてきことからか、鞠を題材やデザインとして美術・工芸作品に表現されてきました。そのため、おもに布を染めるために使用された型紙にも鞠がさまざまな形で表現されています。


    chapter1

    柳に鞠

     まず始めにご紹介する型紙は、鞠と柳が彫刻されたものです。鞠と柳は、蹴鞠の時に柳を植えたことからデザインとして一緒に登場することがしばしばあります。
    こちらの型紙は、突彫と呼ばれる刃先を薄く鋭く整えた彫刻刀を使う技法によるものです。直線、曲線など自在に彫刻することができるので、絵を描くように型紙を彫刻することができます。一方、柳の葉の一部は同じ形に彫刻されたものが多いので、道具彫によるものかもしれません。道具彫は刃先自体がさまざまな形にあらかじめ整えてあるので、小さくて同じ文様を彫刻する際に適しています。(KTS00841)
    chapter2

    柳に麻の葉

     続いてご紹介する型紙は、麻の葉文様と鞠を組み合わせたデザインになっています。麻の葉文様は、縦横斜めの直線によって構成されていて、麻の葉の形に似ていることからその名がつけられたといわれています。こちらの型紙の場合は、麻の葉を構成する直線が矢印のような形になっていて、工夫が凝らされています。突彫によるものでしょうが、直線で彫刻するところを矢印の形に彫刻するのはまた一苦労でしょう。また、直線を構成する矢印の数も三つある箇所と一つしかないところがあります(型紙の一部は経年劣化のため、落ちてしまっています)。全体のバランスを考慮して調整されたのでしょう。(KTS00978)
    chapter3

    手鞠

     最後にご紹介する型紙は、手鞠がぎっしりと並べられています。鞠のなかは、さまざまな文様が彫刻されていますが、色糸でかがった様子を表現したものでしょう。
     この型紙は、錐彫と道具彫の技法を用いて彫刻されたと考えられます。錐彫とは彫刻刀が半円もしくは円形に整えられたものを使用する技法です。道具彫と同様に、刃先を型地紙にあてて、彫り抜きます。半円の彫刻刀を使う場合は、彫刻刀を半回転させることで小さな円が彫刻できます。
     鞠の輪郭は錐彫によるもので、小さな円を並べることで円が形成されています。等間隔に彫刻されているので、小さな円が線のように見えてきます。鞠の内側も経の異なる円や楕円、水滴のような形が見られます。また、鞠の内側がさまざまな方向に向いているように表現されていて、鞠がぽんぽんと転がる様子をイメージすることができます。(KTS06594)
     鞠は現在の私たちから見ても、丸い形や子どもの遊ぶイメージも相まって、かわいらしい印象を与えてくれますね。
    【参考URL】
    下鴨神社ホームページ 「年間祭典一覧表」
    https://www.shimogamo-jinja.or.jp/rituals/
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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