立涌文様は一定の間隔の曲線のふくらみとへこみが交互に伸び、それが左右対になって構成された文様のことです。ふくらみの部分に雲や菊など他の文様が配されることもあります。立涌文様が登場した時期は古く、正倉院宝物にもすでに確認することができます。
「宮内庁 正倉院宝物検索」
また、雲立涌(ふくらみ部分に雲が配される)は、有職文様の一つに数えられ、身分の高い人の装束に使用されたそうです。
古くからある立涌文様は、有職文様としても使われる一方で、染色に使用される型紙にも数多くみることができ、一般的にも浸透していた文様でもありました。それでは、キョーテックコレクションにある立涌文様の型紙を紹介しながら、バリエーション豊かな様子をご覧ください。
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chapter1
波立涌
一枚目にご紹介する型紙は「波立涌」とよばれる文様です。立涌の曲線が波立つようなデザインになっています。波の間には小さな円があり、水しぶきを表現しています。こちらの型紙は、「突彫」と呼ばれる絵画的な彫刻を得意とした技法によるものです。突彫は彫刻刀の刃先が薄く、鋭く整えられているため、曲線も自在に彫刻することができます。また、この型紙の場合、彫刻する面積が広いため、型紙の強度が染色する際に弱くなってしまう可能性があります。そのため、補強の「糸入れ」も施されていることが波文様の中に見える非常に細い絹糸からもわかります。
(KTS11721)
chapter2
菱に立涌
次にご紹介する型紙は、立涌と菱形が重なったデザインになっています。この型紙は「錐彫」と呼ばれる半円形の彫刻刀を半回転させて小孔を彫刻する技法によって制作されています。小孔を並べていくことにより、直線や曲線を表現することができます。ただし、ほんの少しでも彫刻する位置がずれてしまうと、形が崩れてしまうので高い彫刻技術が必要とされます。また、この型紙は、菱形を構成する直線に使用された彫刻刀の径が立涌を彫刻したものよりも少し大きいので、菱形の直線がより際立つようになっています。ほんの少しの違いですが、型紙全体を見ると、大きな違いとなってあらわれます。(KTS07237)
chapter3
立涌
最後にご紹介する型紙は、立涌にも見えますが、まったく新しい幾何学文様にも見え、不思議な印象を与えてくれます。どのような彫刻技法によって制作されているのかみてみますと、一枚目と同じ突彫によるものと思われます。また、型紙を補強する糸入れも施してあります。
この型紙を構成する「かたち」は、立涌の曲線は径の小さな三日月形で、立涌の膨らみ部分は少し径の大きな三日月形で構成されています。型紙を構成する図形は非常にシンプルなのですが、立涌の曲線と三日月形がいくつも重ねられることにより、不思議な印象のデザインになっています。(KTS11591)
この型紙を構成する「かたち」は、立涌の曲線は径の小さな三日月形で、立涌の膨らみ部分は少し径の大きな三日月形で構成されています。型紙を構成する図形は非常にシンプルなのですが、立涌の曲線と三日月形がいくつも重ねられることにより、不思議な印象のデザインになっています。(KTS11591)
「立涌」と名前はつけられていますが、曲線によって構成される幾何学的で非常にシンプルな文様です。立涌文様に付け加えるモチーフや構成の仕方によって印象が大きく変わり、「日本的」にも「西洋的」にも、ちょっと眼が回りそうなデザインにもなるのですね。
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
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旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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