流れる文様 水
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    水1
      温度が管理された室内で一日を過ごすことも多い現代の夏ですが、水辺を眺め、流れる水の音を聴くだけで涼しさを感じられる、そんなひとときも大切にしたものです。 日本には、水が植物や動物と共に表現された絵画や工芸作品が数多くあります。また、水そのものをデザイン化した「青海波」「観世水」「波丸」とよばれる文様もあります。さまざまな作品の中で水はモチーフとして使用されていますが、型紙の中から水をモチーフとした型紙を紹介したいと思います。


    chapter1

    鯉と流水

     図1は、流水に飲み込まれそうになりながらも懸命に泳ぐ鯉とそれを巻き込もうとする水流や水しぶきが生き生きと表現されている染の型紙です。険しい滝を登ることができた鯉はやがて龍になるという中国の故事から、鯉と流水は立身出世のモチーフとして日本の絵画や型紙にも登場し、親しまれてきました。
     流水の彫刻方法に注目してみると、大きくうねり、波頭も大きく曲線的に彫刻されています。しかし、流水の輪郭線が手縫いの糸目のように彫刻されていて、柔らかい印象も受けます(拡大図1)。糸目のように彫刻された流水の輪郭線は、「刺し子」とよばれる技法を型彫で表現したのではないでしょうか。  刺し子とは、綿織物の補強のために細かく刺し縫いしたもので、江戸時代から主に東北や北陸地方で作られていました。やがて美しい文様を表現するようになり、現在も青森県の「こぎん刺し」などが有名です。 細かな糸目を染のデザインとして転用してしまう新たな発想と遊び心が伝わる型紙です。
    chapter2

    小鼓と流水

     図2は小鼓と流水を配した型紙です。図1と同じ「水」をモチーフとしたデザインでも、印象が異なるのではないでしょうか。図2を拡大してみると(拡大図2)波のうねりに沿って細い線を彫刻していることがわかります。この線は、水流の勢いを効果的に表現し、図1以上に荒々しい水流を表現していると言えるでしょう。図1、2ともに大きくうねる水流という点は共通していますが、それをいかに表現するかによって印象が大きく異なります。
     絵画のように多くの色を使用することができないため、型紙では彫刻による線の太さ、鋭さなどによって印象を変える工夫が積み重ねられているのです。
    【参考文献】
    文化遺産オンラインhttp://bunka.nii.ac.jp/index.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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